2015年03月04日

桐野夏生著『緑の毒』 / 思い出す介護業界最底辺医師のプライドとコンプレックス

緑の毒 (角川文庫) -
緑の毒 (角川文庫) -

医者が嫌いだ。医療界、介護界のヒエラルキーの頂上に君臨する横柄な彼らが嫌いだ。同じ病院で働く医療事務員や受付や検査技師や薬剤師を同僚とも思っていないし、看護師でさえそう思っていないだろう。傲慢な奴らが嫌いだ。

介護施設での医者の横暴はもっとひどい。経営者だったりすると絶対王政を敷き、どの職員もどの職員も王様の顔色を伺いながら話しを進めていく。思い通りにいかないと声を荒げるし、幼稚な手合いになるとファイルを投げたり暴言を吐いたりする。意思の疎通とか連携とか相互理解という言葉は彼らの辞書にはない、というか始めから辞書なんて持ってない。他者は下手に出て当然だと医者は思っているし、職業威信を刷り込まれたこちらもそう思っている。

意外に知られていないが、医者の世界にも格差がある。序列の上にいるのが国立大学の研究者、臨床医師である。次に公立の勤務医となり、開業医は「開業医になっちゃおしまい」と言われる存在である。この小説の主人公の川辺はそんなヒエラルキーの下部に位置する開業医である、そして妻カオルは自分より格上の公立病院の勤務医で、妻の愛人玉木もまた同病院の腕の良い救急医である。川辺は医者という肥大化したプライドと新設医学部卒開業医というコンプレックスの間で次第にマグマのような怒りや不満を膨張させていく。爆発寸前である。

川辺は爆発しないために、時々ガス抜きを行う。それは一人暮らしの若い女性の部屋に忍び込みレイプすることだ。その特徴ある医者ならではのレイプのやり方を手がかりに、被害者女性たちは徐々に川辺を追い詰めていく。法的な手段をとらずに、今日的なネットを利用したやり方で破滅に向かわせるのである。

さて、昨今は開業医よりも更に下部に位置する医者が存在する。それは介護施設の医者である。福祉業界で信念をもち高齢者医療のために懸命に働いている医者も知っている。しかし、中には他の病院で使いものにならなかった医者、親の施設を受け継いだという医者もいる。こういう医者と一緒に働いたら大変だ。川辺のようにプライドを持ちながら、医学界と離れた介護業界にいるというコンプレックスでとにかく荒れる。そして威張る。虚勢を張るのだ。「慶応のヤツラは馬鹿だからさぁ」と言われてもコチラは苦笑するばかりである。川辺のような医者は多いのである。

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2015年03月03日

須田桃子著『捏造の科学者 スタップ細胞事件』 / 小保方晴子氏の顔面力

捏造の科学者 STAP細胞事件 -
捏造の科学者 STAP細胞事件 -

本著は毎日新聞科学環境部に所属する須藤桃子記者が受け取った笹井芳樹氏の記者会見招待メールから始まる。山中教授のIPS細胞よりも衝撃的と言われた「STAP細胞」は、小保方晴子氏、笹井芳樹氏、若山輝彦氏が並ぶ華やかな会見から幕が開いた。と思ったら、その僅か2週間後にほころびが出た。ネィチャーに掲載された論文に疑義が生じたのだ。そして、世界の科学者たちが何度追試をしても、STAP細胞は誰も作ることができなかったのである。

本著は全12章から成っている。STAP細胞由来(と呼ばれた)のキメラマウスが緑に光る写真も掲載され、妙ちくりんなネズミの絵が書かれた子どものお絵書き帳のような実験ノートを撮った写真というお宝付きである。STAP細胞については、早稲田大学理工学研究所で修士を取得している著者の須藤記者が懇切丁寧に説明してくれているのでなにも心配はいらない。

さて、STAP細胞はES細胞が混入されたものとほぼ結論されているらしい。そして、そのES細胞は若山研から盗まれたもののようだ。そこまでやらかしてしまった小保方晴子氏は「本来、懲戒免職であるが、すでに退職しているので懲戒免職相当」(理研)で終わっている。

小保方晴子氏は決して美人タイプではないが魅力的な人なんだそうだ。若山氏は、「ボクのシンデレラ」と呼び、笹井氏は、「ボクは彼女のケビンコスナー(ボディガード)」と臆面もなく言っている。STAP細胞疑惑で日本中に激震が走っている時にも、「おぼちゃんを励ます会」なるものが理研のお偉方を中心に開かれていたそうだ。笑顔が眩しい(妖しい)ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授が言った、「晴子は天使だ」も有名な話だ。

チャールズ・バカンティ教授.png
チャールズ・バカンティ教授。小保方晴子氏はチャールズ・エンジェルと呼ばれていた。

小保方氏を擁護するのは、理研のおじさまたちだけではない。新橋のサラリーマンだってそうだ。インタビューで、「彼女はやっていない。顔を見たらわかる」と、論理性に欠けることを言うのである。確かに新橋リーマンは酔ってはいた。それではと、「たかじんのなんとかというテレビ」を観てみると、やはり「あの顔はそんなことのできる顔ではない」と言い切っているコメンテーター(竹田)がいて驚いたのである。おまけに「もういいじゃないですか。かわいそうだ」とまで言うのである。国家予算を使い、嘘だらけの論文を発表して科学コミュニティのみならず、世間を騒がせた事件でもあるにもかかわらず小保方氏はがっちりと守られているのである。

皆さんはご記憶にあるだろうか。森口 尚史を。☟

森口 尚史.png

「IPS細胞を使った世界初の心筋移植手術を実施した」と大ボラを吹いた人である。日本国民は彼の顔を見てすぐに袋叩きを始めた。小保方氏の悪事に比べれば、森口氏はまだマシであるが、この違いはなんだろう。STAP細胞の記者会見を思い出そう。笹井氏の横に座る人物が髪を盛った可愛い系女子ではなく、禿の中年系男子だったらどうだったか。小保方氏ではなくメガネをかけた研究一筋の中年女だったらどうだったか。木嶋佳苗だったらどうなったのだ。

日本国民のほとんどが科学なんてちんぷんかんぷんなのである。小難しい科学のお話を聞くよりも小保方氏の割烹着の方が視聴率を稼げるのだ。マスコミだって科学の力なんかどうでもいいのだ。

さて、この本に戻ろう。読んで驚くのは小保方晴子氏の節操のなさである。博士論文は米国立衛生研究所のWEBサイトからのコピペ(コピー&ペースト)や画像の流用など、少なくとも26か所の問題点があったという。「小保方さんという人はそうとうなんでもする人ですよ」とはある研究者の弁だ。

釈明会見では、新橋系リーマンと理系おやじの両方の目を意識したバーバリーの紺のワンピを着てきた。全身に辛さと悲しみと申し訳なさと、そして男たちの庇護を必要として小さく震える小保方さんであった。「STAP細胞はありまぁす」と目を見開いて言いきった。甘く切ない声で言いきった。女性経験の乏しい男はこの目でこの声でだまくらかされるだろう。困ったものである。

この本を読めばそういう困った男たちも、「なるほど、これほどのことをやらかしたのって一体どういうことだい?」と次のステップに進めるのである。「どうして笹井氏ほどの人が見破れなかったのか?」と誰もがしばし考えるであろう。ノーベル賞を受賞した山中教授への嫉妬と必死の挽回に事の本質が見えなくなったのか。小保方氏への愛による盲目的信用だったのだろうか。それとも、その両方だったのか。

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2015年01月28日

森 瑤子著『望郷』 / リタの歩んだ「マッサン」との人生

望郷 (角川文庫) -
望郷 (角川文庫) -

日本のウィスキーの父と呼ばれるニッカウヰスキーの創設者竹鶴正孝の妻リタの64年間の生涯を描いた物語である。ウィスキー誕生までの苦難と成功をリタの視点から見るとまた面白い。第二次世界大戦を「敵国日本」で過ごさなければならなかった辛さ、孤独、差別、そしてこの小説のタイトルである「望郷」の念。養女リマへの厳しい躾、正孝に手紙で指摘されるほどの完璧主義ぶり。ここら辺りは、なかなかNHK連続テレビ小説「マッサン」では表現できないところだろう。なにしろ、テレビのエリーは良い人で、良い人過ぎて困るくらいなのだ。黒エリーも顔を覘かせるこの小説は人間らしくてなかなかのお勧めである。ちなみに私はこの小説をブロ友のみやびさんから教えていただいた。復刻版である。みやびさん、ありがとうございます。

さて・・・内容をざっくりと、
ジェシー・ロバータ・カウン(通称リタ)は、スコットランド・グラスゴーの郊外に医者の長女として誕生した。町一番の邸宅に住み、医師として人間として町の人々から信頼の厚い父親と、いつも明るく料理が上手な母親の元で幸福に過ごしていたリタだったが、元来、腺病質な子どもで臥せっていることが多かった。成長し許婚と恋をし体にエネルギーが漲るような青春を送るのだが、彼は第一次世界大戦であっけなく死んでしまう。

ある日、グラスゴー大学の医学生だった妹エラが日本人を連れてきた。大きな黒い瞳、笑うとこぼれるような白い歯、後にウィスキーを嗅ぎ分けることができると自慢の種になる高い鼻、そして髭。それが竹鶴正孝だった。竹鶴は湖のような青い大きな瞳を持ったリタに一目ぼれをする。二人は急速に仲良しさんになり結婚することになった。竹鶴はリタに、「僕はここにいてもいいんだ」と言っていたが、リタは日本で生活することを決心する。1920年のことである。正孝とリタは50日間かけて横浜港に到着した。

誇り高いスコットランド人のリタは神経質で完璧主義。自らも他人も時間に厳密であることを望む。仕事には厳しいが人情味溢れる竹鶴と比べて、厳格なリタはニッカの社員たちからもあまり評判はよろしくない。遠縁ではあったが、赤ん坊の時に乳児院から引き取った養女のリマは、何度もリタと衝突をし、20歳の時、工場に勤める若者と駆け落ちをする。それを知った時、正孝は工場の横で膝を抱えて泣いていたという。

もともとリタが資質として持っていた神経質な部分に加えて、外国人をもの珍しく観察する日本人の視線に耐える生活で自己保身が強くなっていったようだ。初対面の相手が外国人の自分をどう思っているのか、受け入れてくれるのか、気味悪がっているのかを見抜くように青い瞳でじっと見つめた。養子になり、二代目のニッカ社長となる威(たけし)と会った時もそうだった。学生だった威はリタに射るように見られ「なんと冷たい目だろう」と思ったという。しかし、相手に悪意がないと知ると親しげに振舞うリタだった。

第二次世界大戦当時の北海道余市、外国人など見たこともない田舎の人たちに囲まれて、石を投げつけられ、特高から土足で家に入られ、外出も止められたリタだった。神戸時代に知り合った友人たちが、ぞれぞれの国へ引き揚げてしまった時は辛かったそうだ。母親ときょうだいから大反対され日本に来たリタは、ただ竹鶴正孝だけが頼りだった。正孝もそれは十分にわかっていたようでいつも宝物のように大切に接していた。リタの正孝への献身も見事なもので日本食からスコットランド料理までプロ並の腕前だったという。

湾岸戦争の時分に、スコットランドへ行ったことがある。ネス湖のあるインヴァネスという所だ。ネス川を望む静かな町で一人いろいろなことを考えることができた。そこにも普通の人間の生活があった。美味しいニオイが夕暮れた町から漂ってきて、ふっと柔らかい気持ちになったのを覚えている。どこでも人の生活はそれほど変わらないのだと、私はどこでも生きていけると思ったものだ。

正孝と日本に行くことを決めた時、妹のエラはリタに、「人生の中で耐えがたく苦しいのは望郷の念ですって。地の果てのニッポンで、故郷を恋こがれてのたうちまわるといいわ」と冷たく言い放った。体調を崩した晩年のリタは、夏は余市で冬は逗子で過ごしていたが、亡くなる前年の秋に余市に帰ることを望みそこで亡くなった。竹鶴夫妻の墓は余市の小高い丘の上にある。そして、北海道は、余市は、スコットランドよく似ているのだ。

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2014年10月24日

百田直樹著『フォルトゥナの瞳』

フォルトゥナの瞳 -
フォルトゥナの瞳 -

*ネタバレあります
慎一郎には人の死の予兆が見える。死が迫った人の指先は透明に欠け、やがては顔も体も透明になっていく。そこにはただ服やかばんや読んでいる新聞がゆらゆらと漂っているだけだ。この信じがたい現象に戸惑う慎一郎だったが、やがて透明な人を死の運命から救おうとする。それは幼い頃に両親と妹のなつこを火事で失いながら自分だけ助かってしまった贖罪のようなものだった。しかし、それは大きな代償を伴った。

ある日、慎一郎は透明な指先を持った男に会った。健康そうな若い男で死ぬようには見えなかった。事故に遭うのかも知れない。慎一郎は男に声を掛けたが、不審がられるだけでどうすることもできない。途方に暮れている時、後ろで誰かが囁いた。「おまえには見えているんだろう?」その声に振り向くと派手なアロハを着た男が立っていた。黒川というその男は医者で、慎一郎と同じ能力を持つ者だった。彼は、人を助ける行為は人の運命を変えること、すなわち神の領域に立ち入ることだ、そして慎一郎の生命の危機につながるので止めろと忠告する。

慎一郎は、ある日川崎駅に多くの透明な指先を持つ人たちを見た。彼らは川崎駅の決まった時間の決まったホームに沢山存在していた。大きな事故があるのかもしれない。慎一郎は大事故の回避という多くの人の運命を変える行動に出る。

読み終わった時に未消化な感じを受けるのは、慎一郎の悲惨なラストに説得性を欠くからだろう。孤児として生活し長い間の不遇から脱し明るい未来が開けそうな矢先に、不器用な自分を愛してくれる人との未来が開けそうな矢先に、こんな惨たらしい結末を人は選ぶだろうか。幼い頃に死に別れた顔も憶えていない妹の死や、幼児を含む透明な指先を持った人を助けるという使命感だけでは、とても納得できるラストではない。

三浦綾子著『塩狩峠』でも、主人公の男性はフィアンセを残しわが身を呈して人々救った。しかし、『塩狩峠』には信仰という大きな柱があり、そこへ向けての主人公の足取りは揺るぎないものなのだ。実在した男性の人生を基に書かれた小説だが、偶然乗り合わせた他者のためにわが身を投げうるには、大きな理由があってしかるべきだ。

ラテン語Fortunaは、英語Fortuneの語源である。主題は「人の人生は運命で決められているのか、否か」もちろんこれに回答はできないのだが、黒川はこう言う。「ちょっとした小さな出来事が大きな変化を起こす」とカオス理論の一つを説明していくのだが、ここはなかなか興味深い。

「叩けよさらば開かれん」自分が行動を起こすこと。これが人生に新しい波形を与える。動かなければ運命は変わらない。でも、行動を起こすっていうことが運命だったりして。

という小説でありました。

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2014年09月14日

夏目漱石著『こころ』と『坊っちゃん』

KINDLEで通勤時に本を読んでいる。電子本は書籍と比較して安価だし、家にいて数秒でAMAZONからKINDLEにダウンロードできるからすこぶる便利である。おまけに暗いバスでも読めるし、コンタクトをはずした後は、文字を大きくして読めばよい。読んでいる途中で寝てしまうと、画面はそれを察知してクローズしてくれるのだ。

おまけにKINDLEにはタダ本がある。それも夏目漱石や太宰治や芥川龍之介ら煌めく「ザ・文豪」の小説である。今回は夏目漱石と芥川龍之介をAMAZONから仕入れてみた。

漱石から『こころ』と『坊ちゃん』、芥川からは『蜘蛛の糸』である。三冊とも読んでいるが、小学生の時のジュニア本なのか、中学生か高校生の時に読んだ本なのかまるきり憶えていない。ストーリーもあやふやである。

こころ -
こころ -

大人になって読み返すと、いろいろな発見があるもんだ。『こころ』の先生は「高等遊民」だった。高等遊民で生活に困らない先生は反則技で妻を得ることになるのだが、その反則技に自分自身も締められことになる。なんだかんだとあり、結果的に死んだ友人からの霊界四の字固めに苦しめられて、最後は自爆するのである。

この本が根強く人気があるのは、人間の持つエゴをテーマにしているからに相違ない。他者への嫉妬やそこから結果的に生じる(自分自身への)怒りを長年に渡り持ち続け苦しんだ先生。現代人ならそんなのクソクラエと笑うだろうに、笑えね沢山の人が今日も『こころ』を読むのである。

坊っちゃん -
坊っちゃん -

「親譲りの無鉄砲で小供の頃から損ばかりしている」の有名な文章で始まるこの小説は、『こころ』の作者と同一?と思わせるほど作風が異なっている。劇画を興したような臨場感溢れる面白い小説である。それにしても、坊ちゃんのような教員がいたら迷惑極まりない。なんだ、こやつは?

そんな坊っちゃんの教員生活は僅か一カ月である、長続きしない奴だ。

さて、特筆すべきは清である。坊っちゃんは清という何くれとなく面倒を見てくれた母親のような存在を忘れていない。しつこいくらい清を思い出すのだ。「親譲りの無鉄砲」な坊っちゃんは心優しい青年なのである。

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2014年07月21日

桜木紫乃著『ホテルローヤル』

ホテルローヤル -
ホテルローヤル -

田中大吉は釧路の湿原を見下ろす山の上に、ラブホテルを建てた。その名は「ホテルローヤル」。ラブホテル建設がきっかけに、大吉のもとを去った妻と子どもを見返すために、愛人るり子のお腹で育っている我が子のために、大吉は「ホテルローヤル」に命をかけた。山の上の白亜のラブホ「ホテルローヤル」は繁盛していたが、教師と女子高校生の心中事件を機にパタリと客足が遠のいた。たまに来る客は、事件のあった3号室を覗きにくるオカルトマニアばかりだった。しだいにホテルに閑古鳥が鳴くようになった。

「ホテルローヤル」を舞台に退廃的な7つの短編の登場人物たちは、美しい女でもスマートな男でもない。他の短編にもちらりと登場しさまざまな顔を読者に見せてくれる。桜木紫乃は相変わらずじめっと暗い。しかし、いつものことながら強い魅力を感じるのだ。

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2014年06月15日

桜木紫乃著『蛇行する月』

蛇行する月 -
蛇行する月 -

6人の女性が、自分の人生を語る短いストーリーが6編書かれている。6編がある接着剤で一つの小説として成立している。接着剤として6人の物語に共通して登場するのは、須賀順子という女性だ。語る時代も、語り手の職業も、順子に対する思いも異なる。それぞれの視点から浮き上がる須賀順子とはどういう人間なのか。わずか20歳で妻子ある男性と駆け落ちし東京の片隅でラーメン店を営む須賀順子は、40代の貧しくくたびれた女性だ。6人の女性たちも順子の人生が決して楽なものとは思っていない。しかし、順子自身はこう語る。「私は幸福」と。さて、幸福とは何だろうか。

桜木紫乃の小説は舞台の釧路のように湿っている。華やかな仕掛けはまずない。道東の地で淡々とした日常を送る登場人物と彼や彼女が巻き込まれていく渦を冷静な筆で書いていく。登場人物も美男美女が出るわけでもない。個人的には性的描写もウェット過ぎて好きではない。つまりは全てにおいて、じめじめしているのだ。が、読みたいと思わせるのは、偶然に隣に坐った市井の人の話に耳を傾けるような、そんな静かな気分にさせる小説が多いからだ。この本も然り。じめじめしてるが、読後はふうっと小さな風が吹くような物語だ。

梅雨の時にはこのような本はいかが?

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2014年06月08日

文春e-Books「週刊文春が報じた「シャブ&飛鳥」の衝撃」

週刊文春が報じた「シャブ&飛鳥」の衝撃【文春e-Books】 -
週刊文春が報じた「シャブ&飛鳥」の衝撃【文春e-Books】 -

ASKAの逮捕には、妻とその兄が関与していたようで、このままでは廃人になってしまうという瀬戸際の判断だったそうだ。「パパのお部屋を覗いてはいけない」と言われ育った子どもたちだったが、好奇心からドアを開けその強烈な臭いに驚いたなどなど、母はミヤネ屋で仕入れた情報をダイレクトに伝えてくれるのである。

母は、「ASKA」を「音楽家」と呼ぶ。

音楽家は、肺炎で亡くなった飯島愛と関係があったらしい。昨今、飯島愛もドラッグをやっていたと言われているようだが、亡くなった者は反論しようもなく、こういうのはフェアでないから聞いていても気分が悪い。

文春e-Books「週刊文春が報じた「シャブ&飛鳥」の衝撃」は、これまで文春で記事にしたASKA三連発が全て載っている。これらが真実ならASKAの体は相当ヤバイことになっている。家族が名誉と引換えにASKAを売ったのは、彼の体を守るという苦渋の決断であったと思うのだ。

そんなことを「まつの湯」の実に気持ち良い温泉に浸かりながら母と話していると、

「奥さんは音楽家とお付き合いしていた女の人を許せなかったのね」と母はキラリと女の目で言ったので、私はドキリとして、ざぶりと湯を顔に掛けたのであった。

本日のまつの湯は霧雨が降っており、天然ミストのようで至極気持ちよかだったのである。

明日からまた仕事だ。
人間は大変だ。
生きるのはツライ。
そういう心の隙にドラッグは入ってくるのだ。
皆様、お気をつけて。
では、ごきげんよう。

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2014年05月06日

渡辺淳一著『阿寒に果つ』

渡辺淳一が亡くなったという。前にも書いたが、この作家の作品は大きく3つのテーマに分かれている。人物モノ、医療モノ、そして恋愛(エロス)モノだ。『失楽園』はエロスモノの金字塔だ。蛇足だがTV版の『失楽園』(川島なお美主演)では、みのもんたが出演している。渡辺淳一といい、みのもんたといい、バブルな昭和なオヤジたちである(あった)。

初期の渡辺作品はストーリー性に優れ、舞台が冬の札幌が多く透明な設えがあり、面白くかつ美しい作品が多かった。中でも『阿寒に果つ』は実話を基に書かれた心に残る小説である。

阿寒に果つ (角川文庫 緑 307-2) [文庫] / 渡辺 淳一 (著); 角川書店 (刊)

阿寒に果つ (角川文庫 緑 307-2) [文庫] / 渡辺 淳一 (著); 角川書店 (刊)

主人公時任純子は、18歳の冬、阿寒湖畔で凍死自殺をした。札幌を発つ時、交際していた5人の男たちそれぞれに一輪の赤いカネーションを残していった。渡辺淳一の庭にもカネーションと憶えのある純子の足跡があった。

純子亡き後、男たちの回想が始まる。

小説は、若き作家の章、画家の章、若き記者の章、医師の章、カメラマンの章、そして蘭子(姉)の章の6章に分かれている。渡辺淳一は「若き作家の章」の主人公である。章を読むと、なるほど男たちは我こそが一番純子に愛されていたと思っているようだ。

さて、時任純子は実名加清純子で、自殺当時、札幌南高校の3年生在学の天才画家と謳われたエキゾチックな美少女だった。阿寒湖畔の雪中に横たわっていた亡骸は、赤いコートにベレー帽をかぶり、顔は白く大層美しかったという。彼女が生きていれば、渡辺淳一と同じ80歳である。早く亡くなった才能ある者は伝説になる。伝説には、それを脚色してくれる者がいなければならない。渡辺淳一は加清純子を永遠の小悪魔として見事に存在させた。今頃、天国で純子さんに感謝されているかもしれない。

反発を覚える作品もあったが、多感な高校時代から読書の楽しみを教えてくれた作家でもあった。
心からご冥福をお祈り致します。

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2014年03月17日

佐川光晴著『おれのおばさん』

おれのおばさん (集英社文庫) [文庫] / 佐川 光晴 (著); 集英社 (刊)

おれのおばさん (集英社文庫) [文庫] / 佐川 光晴 (著); 集英社 (刊)


「おれ」こと高見陽介は、優しい両親のもとで問題なく成長している中学生だ。成績も抜群で東大進学率トップの進学校に通っている。ところが、父親が勤め先の銀行の金に手をつけてしまった。愛人にマンシンョンを買ったという。銀行から横領罪で訴えられた父は懲役刑を受ける。離婚を選択しなかった母親は、多額な借金を返済するため泊まり込みの介護の仕事をすることになり、おれは母の姉が運営する札幌の児童養護施設に入所することになった。


そこであった「おれのおばさん」は北大の医学部に進学するも中退し子どもたちのおばさんになっているという変わり種である。タイトルによるとこのおばさんが主人公なのだろうが、個人的にはあまり魅力的には思えないのである。おばさんと共に生活する中学生たちの中でも、洋介や卓也はなかなかの好人物である。卓也はレイプされた女性から生まれたが、その後養子縁組で幸福に暮らしていた。しかし、養父が卓也10歳の誕生日の前日、プレゼントを買う途中で事故死してしまったのだ。その後、母から虐待され施設に入っている。いつも真っ直ぐ前を向いて歩こうとする洋介と、心は粉々に砕けそうになることがあるが、陽介と知り合ったことで大きく成長していく卓也。暗いテーマなのだが、この二人が大きく明るい未来を感じさせる。


児童養護施設にいる子どもたちが受けた親の虐待や職員からの虐待、差別、進学・就職の問題も詳しく書かれている。特記すべきが、就職先の一つとして食肉処理場が出てくるが、この仕事を見据えて動物の解体を手伝う中学生の姿だ。職業威信というものもさりげなくしかしきちんと書かれている。


良本です。中学生も大人もどうぞ。


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