2015年03月20日

高校生の会話

1月。円山のスタバで。おしゃれで賢げな男子高校生二人の会話。

「早稲田90パーだから、大丈夫そうだんだ」
「おっ、よかったな。俺もなんとかなりそー」
「ところでさ、おまえの彼女の顔ってすでに完成されてるよな」
「美魔女になると思うんだ。将来楽しみだよ」
「俺は顔じゃないから。やっぱ、お人柄だと思うんだ」
(−る−)

2月。朝の地下鉄駅。隣にいたのはずっと若い後輩二人組。あの頃と変わらぬ厚手の紺色のコートを着ている。耳をそばだてる。

「ヒガシ先輩ってかっこいいよね」
「ヒガシ先輩って48なんだって」
「でも、マッチ先輩は50だし」
「だよね。先輩たちいいよね」
(。。?)

3月。
地下鉄の女性車両で短い足を投げ出して爆睡しているオヤジが一人。ピストン運動している地下鉄にずっと乗車しているようだ。7時から女性車両に切り替わったことを知らないで安らかな顔である。それを見た女子高校生の会話。

「あの人おじさんかな?それともおばさんかな?」
「おじさんだと思う。多分、寝過ごしたんじゃないのかな」
そこにおばさんが登場。
「ちょっと、もしもし、ここは女性の場所だから、違う車両に行って下さい」と起こされた。驚いたおじさんは追われるように隣の車両へ。
「おじさん、ちょっとかわいそうだったね」
「仕方ないよ、おじさんだから」
(+0+)

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2015年03月09日

川崎中1殺害事件。

18歳少年の家族はフィリピン人の母親と、再婚相手のトラック運転手をしている父親、母が同じ姉と父の連れ子の姉との4人暮らしだった。小学校の時にいじめに遭っていたという話もある。定時制高校を中退し定職もなくぶらぶらしていた。

こういうプロフィールから、加害少年には殺人に至るような心の歪みがあったのかと考える人もいるだろう。子どもは本来純粋な者で、非行に走るには生育環境の悪化など考慮すべき点がある、だから「更生」のための然るべき教育を受ければ、社会生活を送るに足る成人になるというのが少年法の根拠であると思う。が、本当にそうなのだろうか。

学校でいじめに遭うのは辛いことだ。いじめが原因で人間不信になり大人になっても友人ができない人もいるだろう。荒れる子どももいるだろう。自殺する者がいるくらい非道なものだ。が、それが殺人に結びつくだろうか。

親がフィリピン人や在日韓国人の子どももいる。謂われない差別に苦しんだり怒りを感じたりしている子どももいる。荒れる子もいるだろう。が、それが殺人に結びつくだろうか。

親の虐待を受けている子もいるだろう。それが原因で人を愛せなくなったり、自分の子どもを愛せなかったりすることがある。が、それが殺人に結びつくだろうか。

今回の殺人は憎しみとか衝動とかではないように思うのだ。まだ幼い少年の手足を拘束バンドで固定し身体の自由を奪い、頭を手で動かぬようにして頸動脈にナイフをあてる。首を切断するほどの勢いの傷で、神奈川県警の百戦錬磨の刑事をして、これほどの残虐な遺体は見たことがないと言ったほどだ。

18歳少年はかねてから「人を殺してみたい」と言っていたそうだ。近所の飼い猫を殺してトラブルにもなっていた。酒に酔い中年男性の頭部を鉄パイプで殴り鑑別所送りになっている。この話を聞いて思い出すのは、今年に入って起きた二つの事件だ。一つは佐世保の女子高校生が友人を殺しバラバラにした事件であり、もう一つは名古屋大学女子学生が宗教勧誘の女性を殺害した事件だ。双方とも加害者は殺人に興味を抱き、「人を殺してみたい」と考えていた。

人口の一定数には、人の痛みが想像できない人間や快楽殺人の傾向を持つ者がいる。人の首を締めながら興奮し射精する者もいる。穏やかに市民生活を送る人には信じられないことだが、殺すことそのものに興奮や喜びを感じたりする人間が確かに存在するのである。

人の痛みがわからないというのは比喩的な意味ではなく、本当に肉体を裂く傷みがわからないのだ。想像ができない。18歳少年がそういう性癖を持ち傷めつけるほどに内なるエネルギーが溢れたとしたら、それは被害者少年にとってとてつもない恐怖だったろう。

心優しい人は、「大人たちがなんとかできなかったか」と言う。「地域が守ってあげられなかったか」と悔やむ。しかし、地域コミュニティは幻想だ。高度経済成長の過程で核家族が急増し、家族が望んだのはプライバシーを守るということだ。他人の生活に立ちいらない。自分の子どもに対する関与は好まない。それが我々が望んだ現代社会の家族の位置である。だから子どもを守るのは親だけだ。日々に追われ沢山のサインを見逃してしまった母親と子育てを母親に丸投げした父親が、互いに連携をとり、せめて少年が中学卒業まで西ノ島で生活していたらと思うのは、他人である私の勝手な夢想であった。

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2015年02月21日

死後の世界、あなたを迎えに来るのはだれ?

死んだらこうなるという本がある。どうなるのだろうと思って本屋で立ち読みをすることがある。誰でも死ぬ。死ぬときはおそらく一人だろうし、情報収集は今のうちにしておかなければならない。が、生きている人間の情報は胡散臭い。死んだ人間の情報は確実だが、決して手に入らない。したがって死の世界はいつもベールに包まれているのである。

最近、東京大学病院の救急センターの医師である矢作直樹氏の書いた本が売れているらしい。矢作医師は救急医療の現場で働いているから、人の死に数多く遭遇していて不思議な経験もあるという。本屋の店先でパラパラと立ち読みをしてみると興味深い文章を見つけた。死後の世界では、先に亡くなった親しい者が迎えにくるという。

「死んだら親しい人が迎えに来たり、可愛がっていたペットが迎えに来る場合もあるらしいよ。きっとロンが迎えに来るね」
と遊びに来た弟に言うと、
「ロンは迎えに来てくれないかも知れない」
と静かに答えた。

私が中学生、弟が小学生の時に我が家はパピーウォーカーになった。パピーウォーカーとは、盲導犬候補の仔犬を生後50日から約1年間、飼育する家族のことだ。資金難の盲導犬協会はボランティアで支えられている。幼犬の生育を一般家庭が行うのは金銭援助的な面と、愛情を持って育てられることで人間は信頼に足るものという心を幼犬に教えるためである。

学校から帰るとその男のコはいた。まだ幼いラブラドールレトリーバーのそのコは垂れた耳に大きな瞳で私たちをじっと見つめた。小学生の弟は飛びつくようにそのコを抱いた。そのコの尻尾はもう千切れんばかりにぐるぐると回っていたことを覚えている。

名前はパピーウォーカーがつけてもよいことになっていた。盲導犬になった時を考えて、呼びやすく、言いやすく、聞き取りやすい名前にした。きょうだいで考えた名前は「ロン」だった。

ロンはいつも元気で陽気で素直だった。ロンの母親は優秀な盲導犬だったが、父親は盲導犬試験に落ちていた。お父さんは逆さまつげで、盲導犬協会の人が言うには「ロンはお母さんに似たら優秀な盲導犬になるでしょう。逆さまつげじゃないから大丈夫と思います」ということだった。ロンのお兄さんは逆さまつげで父親似だと言う。逆さまつげが重要だということが、私たちにもわかったのである。私たちきょうだいは遺伝子を初めて知った。

弟とロンはいつも一緒だった。二人はきょうだいのようだった。近くの公立小学校に通う弟は、仲良し数名といつも一緒で、グループにはM君という知的障がいの男の子がいた。ロンも含めて彼らはいつも遊んでいた。

「ロンはボクよりもM君のことが好きで、いつも楽しそうにじゃれていた。小学生のボクはM君に嫉妬してロンに雪だまをぶつけながら怒った。Mと仲良くするなって。そうしたら、ロンは悲しそうなぶどうのような目をしてじっとボクを見ていた。ロンのことを考えると、あの時のことを思い出すんだ。ボクは100%の飼い主じゃなかったから」

1年後、約束の朝が来た。ロンは私たちが学校に行っている間に盲導犬協会に帰っていった。父親が私たちのショックを考えてそのようにしたのだ。そして、ロンが盲導犬になれなかった場合、家に戻してもらうようにお願いしてくれていた。私たち家族はそれを心から待っていた。盲導犬協会に戻ったロンは、同じ年頃のコたちといよいよ本格的に訓練の時間を過ごしていた。

ある時、父が、
「盲導犬協会に聞いたら、みんなが時計回りに走っているのに、ロンだけ逆周りで他の犬たちにぶつかっていくらしい。落ち着きがないようだし盲導犬には向いてないかもしれないな」
と嬉しそうな顔をして言った。

しかし、ロンは盲導犬になった。

盲導犬協会からは決してロンの近くにはいかないようにと言われていた。「犬は決してパピーウォーカーを忘れていないので、動揺させることになります」と言われて、私たちきょうだいは完全にロンを諦めた。私たちはロンの話をしなくなった。すれば悲しくなるばかりだった。ロンは「ロン号」というりっぱな名前になり遠い存在になった。

それから月日が経った。
毎年、お盆に家族は盲導犬協会の墓碑にお参りに行く。今、ロンはそこにいる。

M君は早くにご両親を亡くされたが、ご両親が残した土地は立地の良いところにあり月極め駐車場で生計を立てている。駐車場の周りには季節の花の鉢を置き、もうすっかり古くなった自宅周りにはつるバラを植えている。

弟は教員になり、毎年一度、学生を連れて盲導犬協会を見学している。


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2015年02月01日

暗く辛い一日〜人質事件は最悪の結果を迎えた〜

母は毎朝5時半くらいに起きてお弁当を作ってくれる。まだ暗いキッチンに灯りをつけ、テレビのニュースを聴きながら、卵焼きを焼いたりアスパラのベーコン巻を作ったりするのだ。

しかし、ここ数日は、しんと静寂な中で料理をしていた。
母より遅く起きる私が、
「どうしてテレビをつけないの?」と聞くと、
怖くて見られないと言う。
スイッチを押し、私は素早く画面を確認し、
「大丈夫。まだ交渉中みたいだから」と言うと、
母は少しほっとした顔をして、
「あっ、良かったね」
と言うのだった。

しかし、恐れていたことが現実になった。
早朝、後藤健二さんの殺害が確認されたのだ。

今回の一連の人質殺害事件に関して、ネット上でいろいろな意見が飛び交った。それぞれの立場があり、いろいろな意見があるのは当然だ。各々の生育環境や知的背景や社会的経験値で導き出された意見なのだから。100人いたら100人の意見がある。

どのような意見だろうが一度全てを包括し、改めて、この残虐な行為が行われる意味を考える。例えば、ジハーディ・ジョンと呼ばれる、湯川さんを殺し後藤さんを殺害した英国人男性のことを考える。便利で清潔な英国を離れ、砂漠の乾燥した土地で来る日も来る日も戦闘に追われ、人を何人も殺し殺し殺し・・・そういうことを恒常的に行う人間を考える。その理由を考えなければ、問題の解決にはならない。明日も明後日も、同じようなことが起こる。憎しみの源泉が何かを探る作業が必要だろう。

ジハーディ・ジョンの父親は、1998年のケニアとタンザニアの米国大使館爆破事件に関与したテロの罪状で米国に起訴されている。ISILの兵士の多くは外国人だそうだ。日本人女性がフランス人の夫と共にシラク入りした事実があるし、北大生は出国寸前で日本当局に抑えられている。行為には必ず理由がある。その理由を知りたいと思う。

憎しみの連鎖はISILだけではない。アメリカの空爆はISILをピンポイントで叩けるわけではない。イスラムの人々にとっては米の空爆もある意味でテロの脅威なのである。親を失った子が数年後に銃を担ぎナイフを手にしないとは誰が断言できるのか。

******
後藤健二さんの恐怖と苦しみを想像すると他人の私ですら叫びたいような気持ちになる。ご家族はどんなに辛いことか。地獄だ。テロ行為とはそういう地獄を方々にまき散らすのだ。人の尊厳を奪い、唯一の人生を捻じ曲げ奪う行為である。

それを踏まえて考える。今回、何度も聞かれた「テロに屈しない」という文言である。テロに屈しないという理由で、アメリカ人ジャーナリストをはじめ多くの人質の命が失われた。テロに屈しないために空爆で多くのイスラムの人の命が失われた。「テロに屈しない」とは死と同義なのだろうか。

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2015年01月25日

人質事件について。

数日前のこと、「おはようございまぁす!」の後で、女性介護職員が大きな声で言い放った。「ねぇ、ねぇ、テレビ観た?」ハスキーな声だ。話は続く。

「好きで行ったんでしょ。何で助けないといけないわけ?自己責任っていうやつじゃん。死んでもいいじゃんそんなの」

「イスラム国」で人質にされた二人を指しているのだろう。昼休みにネットでニュースを見ると、案の定「自己責任論」が出ていた。彼女はスマホで目にした単語を、思慮するべきことなく、短絡的に反芻しただけなのだ。

後藤健二さんはジャーナリストである。彼らのような人がいなければ、私たちは現在の中東の情勢を知ることはできない。彼らが日々生命の危険を感じながら得る情報は、世界のもう一つのあり方だ。アメリカ経由の情報は、イスラムの世界を欧米の視点でしか示さない。紛争地域のピース(一片)を提示してくれるのは戦場報道人だけである。そのような後藤さんの「自己責任論」はどのようなロジックを持つのだろうか。

さて、湯川陽菜さんは後藤さんとは違うという人もいるが、彼の行いが「自己責任論」で断罪され、「死んでもしかたねぇよ」と言われてしかるべきものなのか。生きる行動の選択の一つが彼のビジネスであったら、それは彼の自己責任が問われものなのだろうか。自己責任とは、死を持って償うほどのことなのだろうか。

「自己決定」と「自己責任」は対をなし、現代日本人のほぼ全ての行動はこれは当てはまるだろう。例えば、あなたは酒に酔っているにも関わらず運転をする。それは自己決定であり自己責任が派生する。さて、コントロールを失ったあなたの車は電柱に激突してしまう。あなたは意識不明の重体となるが、あなたを「それはあなたの自己責任だから死んでもしかたがない。救急車は税金の無駄だから出さない」とは誰も言わない。命は貴い。速やかに救急車はあなたの元に到着し、医者はあなたを救うために最大限の努力をするはずだ。もし、ここで救急車が拒んだ場合は消防署は責任を問われ、医者が治療を怠った場合は病院が責任を問われる。この例を今回の場合にスライドするのは困難なことなのだろうか。人質の問題が生じた場合は、日本政府が個人を救うのは「国家的責任」ではないだろうか。

浅田彰はイラク日本人人質事件(2002年)に、「前近代のムラ社会」的意識と、人質本人や家族が「謝罪と感謝でひたすら頭を下げて回る」ことを強いる日本の精神風土を表現した。湯川さんの父親は混乱と悲しみの中で懸命に謝罪の弁を述べている。

人質にとられた人を「自業自得」というのではなく、今、イスラムの世界で何が起きているのか、9.11以降、何がここまで荒んだ中東にしていったのか、改めて私たちは考えなければならない。そして、後藤さんの命を救うためにも「自己責任」などという言葉を理解もせずに拡散してはいけない。

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2015年01月01日

こんにちわ 2015年

謹賀新年
**********
明けましておめでとうございます。ヒラメ混じりのクソ忌々しい2014年も彼方へと消え去り、新しい年がこんにちわと微笑んでいるようです。是非とも良い年にしたいものです。皆さまにとっても、良い年になりますように。いえいえ、単なる希望ではいけません。意志を見せつけましょう。お互いに絶対に良い年にしようではありませんか。

今年も皆さまとのご縁を大切に、そして新しい世界の開拓のために、パワー全開で歩いて行こうと思っています。なぜだか今年はパワー全開の気分なのです。元旦早々縁起でもありませんが、人間の命は限りあるもの。昨年の御嶽山の水蒸気爆発や先の大震災は沢山の健康な命を奪っていきました。自然災害だけではありません。日々突然遭遇する事故や思いがけない病気もそうです。人間は脆い。あると思うな命と年金です。ですから、今年はちょっと一生懸命に小走り・・・競歩というやつをしようと思っています。

定職がありながら現状では納得できない就活中の友人の新年メールに、「今後は仕事中心ではなく、どう生きたいかで考えることにします。そうしたら、いろいろと削ぐことができそうです」と書いてありました。自分があって仕事がある。自分を活かす範囲の中に仕事がある。この逆ではないわけです。彼女は立ち止ってこういう考えになったのでしょう。

さぁ、それぞれが自分の道を生きましよう。
今年も宜しくお願いします

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2014年12月31日

さようなら 2014年

今年はどういう年だったかを、一文字で表すと「税」だそうだ。
消費税が5%から8%に上がり、生活にかかる負担を皆が重く受け止めている結果なのだろう。

私の一年を漢字一文字で表すと、「転」かなぁ。

いろいろな人と出会い、その人たちと別れ、また違う人と出会う。
仕事を変え、その都度、適応しようと頑張り、そしてそれを失う。
しかし、この転は転落の転ではなく、良い転機の転としなければならない。

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今年、出会えた皆さま、本当にありがとうございました。
皆さまとそのご家族にとって来年が健やかで幸福な一年となりますように、心から強く深くお祈りをしております。
良いお年をお迎え下さい。
雪あらし。より
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2014年12月29日

アルバイト×2

今年もあと数日となってしまった。
結局、札幌市内の医療相談員のクチは、その後、再度面接があり同系列の道内海沿い工業都市の病院勤務ということで回答をもらったが断ってしまった。その札幌市内の病院は今でも医療相談員を募集しているので、私には不足があったということだろう。

そんなわけで12月15日からアルバイトを2つしている。一つはグループホームの介護支援専門員で時給が良いことで決めた。もう一つは困った時の語学屋稼業で、英会話スクールで教えている。稼働日数は二つ合わせて15日程度であるが、給与合計額はブラック社会福祉法人よりも良いのである。これはこれで割り切れないものがある。この間に私がすることは、目を見開いて然るべき仕事を探すことである。


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2014年11月24日

クリスマスコンサート、そして居宅ケアマネ退職祝い会と慰労会の夕べ

世間では三連休の中日、前から誘われていた真面目な管理栄養士が活動しているオーケストラの演奏会を聴きに行った。少し早いクリスマスの「ファミリーコンサート」で、演奏者はトナカイやサンタクロースの格好をし、小さい子も参加できるプログラムもありアットホームな雰囲気の素敵なコンサートであった。一緒に行った居宅ケアマネと最前列中央で管理栄養士の雄姿を撮ろうと今日は張り切る私である。赤タイツ、緑セーターのクリスマスカラーを身にまとった管理栄養士はますます真面目なオーラを放ちながら、ビオラに向き合っていたのであった。仕事とは違う世界を持っているのは良いものであるなあ。今日は管理栄養士に教えてもらった一日でもあった。

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札幌西区オーケストラ」の皆さん。会場は超満員。

休憩を挟んで二部の『クルミ割り人形』のご存じ『花のワルツ』からアンコールのクリスマス讃美歌『もろひとぞこりて』から怒涛のように『きよしこの夜』『ジングルベル』と曲が移り、場はぐんぐんと盛り上がった。私は目を閉じ音符が舞う空間に心を漂わせ、ここ最近のわが身の不幸を洗い流した午後なのであった。隣に座っていた居宅もカツ丼部屋から解放された喜びと新たなる就職先への不安を心にじっと聴き入っているようだった。

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アンコールでマエストロはサンタクロースの格好で登場した。

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ブラボー!大きな声で叫びたかったが、管理栄養士に恥をかかせてはいけないので必至の思いで拍手を送った。

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管理栄養士よ、お疲れ様でした。そして、素敵な時間をありがとう。
*写っているのはオカメインコの大介氏である。

その後、20日に退職した居宅ケアマネの退職お祝いと慰労を兼ね、居宅の希望で「琴似バル」に行った。地獄のケアマネも参加して4人で楽しい時間を過ごした。残念ながら、介護士マッキーとピンクナースとボブカットは欠席である。次回は是非お会いしましょう。

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相変わらず混んでいる「琴似バル」。安くて美味しいから当然なのだが。地獄のケアマネは前回、某山陰地方で犬と引きこもりの生活を送っていたために今回初めての来店である。

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まずは冷たい白ワインで乾杯。懐かしい顔が揃って嬉しい。地獄のケアマネとも久しぶりだ。やはり働いていたことを思い出す。地獄よ、今日はよく食べ、よく飲もう。

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居宅が大好きなバーニャカウダー。しかし、地獄と私にほとんど食べられてしまう。心優しい彼女は静かに微笑む。このソースがね、美味しいのである。

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やっほぉ。私の好物のマッシュルームと生ハムのアヒージョ。思いっきり熱いオイルにおくちばしも火傷しそうだが、かまわず放り込む。塩加減といい、熱さ加減といい白ワインと合い本当に美味しいでござる。

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こちらは海老のアヒージョ。こちらも美味しいがマッシュルームと生ハムのアヒージョにはかなわないのである。

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なんだったけ?ひき肉のなんとかかんとかフライ(@_@;)

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鴨肉のバルサミコのソースがかかったヤツ。

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ピクルス。ピクルス大好きなんだけど、これはクセがあった。スパイスの何かが私のおくちばしに合わなかったようである。

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彩りも美しいパエリア。おしぼりが写り込んでしまった。

食べながら話し、話しながらの飲みであっという間の2時間が過ぎた。予約満員で2時間飲み放題が終わると追い出されるのが「琴似バル」である。

そうして、じっくりと珈琲を飲みに。

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珈琲と・・・

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ワッフル。

とても楽しい夜は更けて、それぞれのおウチへ。また会いましょう。
皆様方は三連休はいかがお過ごしでしたか。

では、ごきげんよう。

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posted by 雪あらし。 at 19:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々の出来事。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月18日

人間万事塞翁が馬

大通り公園を札幌駅に向かって歩くと、正面右に北洋銀行本店の社屋が見える。それを見るたびに私は、北海道拓殖銀行の破綻を思い出す。北海道拓殖銀行は北海道唯一の都市銀行で、札幌市民から「たくぎん」と呼ばれ愛されてきた銀行だ。たくぎんの社屋は、『ゴジラVSキングキドラ』でゴジラに壊されたくらい存在感ある建物だったのだ。

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北洋銀行本店。

私がバブルの崩壊を知ったのは1991年夏の台湾行きの飛行機の中でだった。ユナイテッドのマイルが溜まって乗り込んだ飛行機だ。休暇中で留学先のアメリカから成田へ行き札幌の実家に戻るのを後回しにして、一人台北に行こうと飛行機に乗り込んだのだ。

隣の席の日本人のおじさんが、
「あのね、バブルがはじけたんだよ」
と教えてくれた。
「バブルってなんですか?」
と私は尋ねた。

私の成長期は高度経済成長期と重なっている。誕生してから景気は上向きで、浮かれていると言えば生まれた時から浮かれていたようなものだった。景気がいいから留学を考える人も多かった。皆、豪華なモノや大きなモノが好きで、資本主義の最高峰の「アメリカ大好き!」の時代だったのである。だから、景気が悪い日本など想像もできなかったのだ。

1998年、不良債権のツケでたくぎんは営業を終了してしまう。

母の友人の息子さんは東京の有名私大を卒業した。卒業後はUターンしようとたくぎんを受けたが落ちた。致し方なく北洋相互銀行に入行することになった。この二つの銀行のランクは天と地ほどもあり、その時点で母友の息子は「負け組」と思ったろう。が、人生はわからん。北海道拓殖銀行は破綻し、北洋銀行が事業譲受をしたからだ。そして、気がつけばたくぎんの社屋はゴジラではなく北洋銀行に壊され、その跡地にこれ見よがしな近代的建造物を建てたのである。そおして、母の友人の息子さんはエラくなっている。

「人間万事塞翁が馬」である。

どうしてこういうことを書くかというと、「ヒラメよ、いつまでも勝ち組と思うなよ」と言いたかっただけなのだ。

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その北洋銀行の前にポチポチしたものがついている木を発見した。

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よおく見ると電球だ。

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イルミネーション用の電球をつけられた木。ブチブチしていてちょっと気持ち悪い気もするが、雪の夜には大層美しいのだろう。

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posted by 雪あらし。 at 02:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々の出来事。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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