2014年10月24日

百田直樹著『フォルトゥナの瞳』

フォルトゥナの瞳 -
フォルトゥナの瞳 -

*ネタバレあります
慎一郎には人の死の予兆が見える。死が迫った人の指先は透明に欠け、やがては顔も体も透明になっていく。そこにはただ服やかばんや読んでいる新聞がゆらゆらと漂っているだけだ。この信じがたい現象に戸惑う慎一郎だったが、やがて透明な人を死の運命から救おうとする。それは幼い頃に両親と妹のなつこを火事で失いながら自分だけ助かってしまった贖罪のようなものだった。しかし、それは大きな代償を伴った。

ある日、慎一郎は透明な指先を持った男に会った。健康そうな若い男で死ぬようには見えなかった。事故に遭うのかも知れない。慎一郎は男に声を掛けたが、不審がられるだけでどうすることもできない。途方に暮れている時、後ろで誰かが囁いた。「おまえには見えているんだろう?」その声に振り向くと派手なアロハを着た男が立っていた。黒川というその男は医者で、慎一郎と同じ能力を持つ者だった。彼は、人を助ける行為は人の運命を変えること、すなわち神の領域に立ち入ることだ、そして慎一郎の生命の危機につながるので止めろと忠告する。

慎一郎は、ある日川崎駅に多くの透明な指先を持つ人たちを見た。彼らは川崎駅の決まった時間の決まったホームに沢山存在していた。大きな事故があるのかもしれない。慎一郎は大事故の回避という多くの人の運命を変える行動に出る。

読み終わった時に未消化な感じを受けるのは、慎一郎の悲惨なラストに説得性を欠くからだろう。孤児として生活し長い間の不遇から脱し明るい未来が開けそうな矢先に、不器用な自分を愛してくれる人との未来が開けそうな矢先に、こんな惨たらしい結末を人は選ぶだろうか。幼い頃に死に別れた顔も憶えていない妹の死や、幼児を含む透明な指先を持った人を助けるという使命感だけでは、とても納得できるラストではない。

三浦綾子著『塩狩峠』でも、主人公の男性はフィアンセを残しわが身を呈して人々救った。しかし、『塩狩峠』には信仰という大きな柱があり、そこへ向けての主人公の足取りは揺るぎないものなのだ。実在した男性の人生を基に書かれた小説だが、偶然乗り合わせた他者のためにわが身を投げうるには、大きな理由があってしかるべきだ。

ラテン語Fortunaは、英語Fortuneの語源である。主題は「人の人生は運命で決められているのか、否か」もちろんこれに回答はできないのだが、黒川はこう言う。「ちょっとした小さな出来事が大きな変化を起こす」とカオス理論の一つを説明していくのだが、ここはなかなか興味深い。

「叩けよさらば開かれん」自分が行動を起こすこと。これが人生に新しい波形を与える。動かなければ運命は変わらない。でも、行動を起こすっていうことが運命だったりして。

という小説でありました。

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posted by 雪あらし。 at 23:22| Comment(1) | TrackBack(1) | 趣味は読書なのである。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by 藍色 at 2016年01月26日 13:06
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「フォルトゥナの瞳」百田尚樹
Excerpt: 幼い頃に家族を火事で失い天涯孤独の身となった木山慎一郎は友人も恋人もなく、自動車塗装工として黙々と働くだけの日々を送っていた。だが突然「他人の死の運命」を視る力を手に入れ、生活は一変する。はじめて女性..
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