2014年03月26日

鼻汁垂らして面接へ行くの巻。

ひどい風邪を引いておりまして、咳きこんだら止まりません。
その風邪の中、かねてより応募していた新設特養の面接がありました。
面接がなんと、一時間・・・・試験が英文に日本語にエクセルに時事問題でした。9時に始まり12時に終わるというイベントでしたね。

ふ・・・
たいした給与でもないのにえらそうなもんです。
それでも大きなことを言えないのが、こちら側。

ここが落選したら、東京へ戻ろう。
そう決めましたとさ。

さあ、またベッドに戻って寝るしかない。
鼻汁が黄緑に変わったので、そろそろ治るサインなのです(私の場合)。


015.JPG
今年の雪まつり。「梨汁プシュー ふなっしー」


押してくれてありがとうございます。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
posted by 雪あらし。 at 00:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 生きるために仕事をするのだ。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月17日

佐川光晴著『おれのおばさん』

おれのおばさん (集英社文庫) [文庫] / 佐川 光晴 (著); 集英社 (刊)

おれのおばさん (集英社文庫) [文庫] / 佐川 光晴 (著); 集英社 (刊)


「おれ」こと高見陽介は、優しい両親のもとで問題なく成長している中学生だ。成績も抜群で東大進学率トップの進学校に通っている。ところが、父親が勤め先の銀行の金に手をつけてしまった。愛人にマンシンョンを買ったという。銀行から横領罪で訴えられた父は懲役刑を受ける。離婚を選択しなかった母親は、多額な借金を返済するため泊まり込みの介護の仕事をすることになり、おれは母の姉が運営する札幌の児童養護施設に入所することになった。


そこであった「おれのおばさん」は北大の医学部に進学するも中退し子どもたちのおばさんになっているという変わり種である。タイトルによるとこのおばさんが主人公なのだろうが、個人的にはあまり魅力的には思えないのである。おばさんと共に生活する中学生たちの中でも、洋介や卓也はなかなかの好人物である。卓也はレイプされた女性から生まれたが、その後養子縁組で幸福に暮らしていた。しかし、養父が卓也10歳の誕生日の前日、プレゼントを買う途中で事故死してしまったのだ。その後、母から虐待され施設に入っている。いつも真っ直ぐ前を向いて歩こうとする洋介と、心は粉々に砕けそうになることがあるが、陽介と知り合ったことで大きく成長していく卓也。暗いテーマなのだが、この二人が大きく明るい未来を感じさせる。


児童養護施設にいる子どもたちが受けた親の虐待や職員からの虐待、差別、進学・就職の問題も詳しく書かれている。特記すべきが、就職先の一つとして食肉処理場が出てくるが、この仕事を見据えて動物の解体を手伝う中学生の姿だ。職業威信というものもさりげなくしかしきちんと書かれている。


良本です。中学生も大人もどうぞ。


一つ押せばきっとイイこと。二つ押せば悪魔除け。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
posted by 雪あらし。 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味は読書なのである。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月10日

石狩「番屋の湯」

今日は母の誕生日である。
昨日出勤したため今日はお休みの私は、母と温泉に行くことにした。
道路事情が悪く、近場の石狩「番屋の湯」へ行く。札幌から約35qの短いドライブである。

DSCN2232.JPG
番屋の湯の裏の石狩の海岸へ続く道路はこんな具合である。浜の風は冷たく海の音がゴウゴウを聞こえる。左建物は見晴らし台。写真を撮ったら急いで車内へ。


DSCN2234.JPG
遠くに見えるのは日本海。荒々しいのである。


DSCN2238.JPG
さて、番屋の湯の全貌。

DSCN2239.JPG
雪に埋もれておる。


DSCN2250.JPG
なんと、冬期間はあぶないので露天風呂は閉鎖なのであった。残念である。気を取り直してGO!


DSCN2249.JPG
さあて、ゆっくりと入りましょう。女衆の暖簾をくぐる。ちなみに男風呂は男衆となっていた。漁師気分である。


お風呂はコーラ色のお湯である。なんでも1万年前から数百年前の地層を通って出る化石海水の色らしい。保温効果が高く湯冷めしにくいのも特徴。肌がつるつるする。



DSCN2246.JPG
入浴後は2Fにある展望ラウンジで日本海を見ることができる。



DSCN2245.JPG
ラウンジからはこんな景色も見える。右遠くの突端は雄冬岬(おふゆみさき)である。高倉健の映画『駅(STATION)』の舞台にもなった。


ゆっくりお風呂に入って外に出ると・・・・


DSCN2251.JPG
もうすっかり夜でございました。


押してくれてありがとうございます。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
posted by 雪あらし。 at 22:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 北海道はお好きですか? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

小嶋屋総本店が札幌三越に来たの巻。

絶対行かなければならないところがあった。
「新潟うまいもの市」をやっている札幌三越だ。目当ては「へぎそば」である。東京で贔屓にしていたへぎそばだ。小嶋屋総本店が来るという。イートインというのが寂しいがしかたがない。


へぎそばは普通の蕎麦と食感も味もまったく違う。つなぎに海藻のふのりを使用しているのだ。だから色はほんのりと緑になる。


数年前に東京都立川市のグランデュオで小嶋屋を見つけ足しげく通っていたが、レストランフロアのリニューアルとともに撤退し、へぎ好きの友人Sと嘆いていたが、東京は他に銀座と府中の伊勢丹にあると聞き、府中まで二度ほど足を運んだのだった。それが、イートインであっても札幌に来るという。


DSCN2229.JPG
食べるのは「野菜天へぎ」である。


DSCN2230.JPG
天ぷらは、さつまいも、かぼちゃ、ししとう、舞茸の4種である。


ここで、小さな疑問が・・・へぎそばはもっと緑だったような?そば汁ももう少し美味しかったような?それは、やはり友人Sと食していないからだろうか。二人で飲んだ後に食べた「野菜天へぎ」はまた格別だったのだ。

それでも、札幌で食べられる新潟の名物に感動した一日だった。


押してくれてありがとうございます。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
posted by 雪あらし。 at 23:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 食べたり飲んだり。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

沢木耕太郎著『流星ひとつ』

流星ひとつ [単行本] / 沢木 耕太郎 (著); 新潮社 (刊)

流星ひとつ [単行本] / 沢木 耕太郎 (著); 新潮社 (刊)


知り合いから面白いと薦められた本。

昨年、新宿のマンションから飛び降り自殺をした藤圭子を書いた本である。藤圭子は、日本人形のような顔をしたハスキーな声を持った演歌歌手だった。今では、宇多田ヒカルを産んだ母親としての方が有名になってしまった。


この本は1979年にホテルニューオータニのバーラウンジで筆者沢木耕太郎のインタビューを受ける形で進んでいく。二人の会話だけで進み、風景の描写もない。当時28歳だった引退を表明した人気歌手藤圭子と同世代を生きているライターの沢木耕太郎が火酒(ウォッカ)を飲みながら、幼い頃過ごした旭川の極貧時代、父親の暴力、デビュー前、前川清との結婚と離婚、芸能界、そして引退の理由について尋ね、そして語る。


驚くのは藤圭子のひたむきな真面目さだ。もしも神様がいるとしたら、こういう人を愛するだろうと思うような真摯さを彼女は持っていた。藤圭子が自死した時に、宇多田ヒカルはコメントで、長い間精神を病んでいたとあった。しかし、この時の彼女を沢木氏は、


水晶のように硬質で透明な精神


と表現している。それが、彼女を死へ導いたのだろうか。これだけ真面目で嘘をつかずに生きようとするのは辛いことだと思うからだ。もう一つ、彼女の歯車が狂い始めたのは、声帯ポリープの手術で声が変わってしまったことだ。藤圭子の声は、歌手としての大事なツールであり、また、彼女自身であり彼女のアイデンティティだったろう。藤の盲目の母親が、舞台袖で手術後に歌う藤圭子の声を聞き、「純ちゃん(純子というのが本名)に似ている人が歌っている」と言ったという。引退の理由は声が変わり、歌を歌うのが苦痛になったからだった。自分ではない声を毎回使う苦痛を語っている。引退後はアメリカで英語の勉強をしたいと語っている。その後、NYで宇多田ヒカルが誕生したのは有名な話である。


「後記」で、筆者は次のように書いてある。


「美しかったのは『容姿』だけではなかった。『心』のこのようにまっすぐな人を私は知らない。まさに火の酒のように、透明な烈しさが清潔に匂っていた」


ブログ 藤圭子.png


一つ押せばきっとイイこと。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
posted by 雪あらし。 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味は読書なのである。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月04日

桂 望実著『嫌な女』

嫌な女 (光文社文庫) [文庫] / 桂 望実 (著); 光文社 (刊)


嫌な女 (光文社文庫) [文庫] / 桂 望実 (著); 光文社 (刊)


今回もタイトルに惹かれて買ってしまった。

「嫌な女」という言葉には、「嫌な男」や「嫌な人間」の数倍も意味が込められていそうだ。それは、想像を掻き立てる。美人で性格が悪く男をたぶらかすのがうまい女か、醜女でありながら男を手玉にとる女なのか。世間には、毒婦、鬼女、魔女、女豹、淫女などどいう言葉もある。確かにどれも「嫌な女」だ。


徹子は夏子を幼い頃から知っていた。遠い縁戚関係にある。子どもの時分から夏子は「嫌な女」だった。長じて夏子は詐欺師まがいのことで、男をだまくらかし、その度に弁護士になった徹子を頼るのである。徹子は夏子を軽蔑と不信の眼で見ていたが、年を取るに従ってその荒っぽい生き方を共感はしないが受け入れていくようになる。浮き草のような女の夏子と、地に足をつけた生き方をする徹子は20代から70代までの間、依頼人と弁護士の関係を持ち続けていく。


タイトルは煽情的だが、実に淡々としたストーリーである。途中で面倒になり投げ出そうかと思ったが、人間関係を築くのが苦手な徹子が仕事が縁で得た親友であるみゆきや先輩弁護士の荻原や徹子の元夫との関係など、魅力的な描写が多く結局最後まで読んでしまった。辛い場面もあったが、さわやかな読後だった。

徹子の姉は人ごととは思えないほど、個性的な人物である。この姉が亡くなった時、徹子は次のように語るのである。


「悲しむ人の数なんて、どうでもいいこと。誰の記憶に残ったのかも、どうでもいいこと。姉さんの人生が、姉さんのもの、誰かに評価されるようなものじゃないわ」


この姉もある種の人にとっては「嫌な女」である。人の評価など気にせずに「嫌な女」でもいいのだ。好きに生きましょう。但し、合法的にだが。


一つ押せばきっとイイこと。二つ押せば悪魔除け。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
posted by 雪あらし。 at 22:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 趣味は読書なのである。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月02日

オンナイトコとオトコボス。

久しぶりにダッフルさん(もう一人の介護支援専門員(ケアマネ)の女性である)と会った。彼女は月・水・金の出勤、私は火・木・土の出勤なので、どちらかが曜日を移動しない限り会わないのだ。


挨拶もそこそこにダッフルさんは小声で妙なことを言い出した。
「雪あらしさん、オンナイトコとオトコボスって付き合っているんでしょうか」
「へっ」


まさかのとさかである。オンナイトコは太鼓腹で、胸よりもお腹がでかい。顔も大きければ態度もでかい。女性の性的魅力とは程遠い感じの存在なのだ。信じられないことだが、管理者というのに紺色ジャージの上下を着ている。ジャージというのは体のラインがはっきり見えるものだ。横から見るとヒキガエルのようなお腹をしている。顔は毎日の飲酒のためか茶色に変色していて、ヘビースモーカーの歯は笑うとお歯黒に近い。このビジュアルで、大あくびをしながら、掌で顔を上下に撫でるである。初めて会ったものは、この強烈キテレツな個性にドギモを抜かす。


一方、オトコボスの見かけは悪くない。身長も高く、顔だちも整いスキッとしている。酒はたしなむ程度で、ノンスモーカーである。週末には歩くスキーをして気持ち良い汗を流している。他県に妻子を残しているが、夜のすすきのを彷徨っているという噂も聞かない。正しさを絵に描いたような上司である。


そんなオンナイトコとオトコボスが不倫しているというのだ。本当なら退屈なバイト生活に一筋の色どりというものである。


私は好奇心溢れる胸を隠して静かに聞いた。
「ダッフルさん、何か動かぬ証拠でもあるのですか?」
ダッフルさんは次のように話した。


先日、オンナイトコとオトコボスが揃って出かけた。二人は、A企業に挨拶に行くと言って出かけたのであるが、留守中にそのA企業から電話があった。オンナイトコもオトコボスもその会社に行っていなかったということが判明した。二人は約3時間後戻って来たらしい。上品なダッフルさんは気まずそうに、「二人が車を降りてくる姿を見てデキテル″って思いました」「気持ちが悪くなりました」「二人にまとわりついている空気が濃厚だったからなのです」と一気に話した。その後、ダッフルさんはオンナイトコのマンション敷地にオトコボスの車が駐車されているのを見ている。



ダッフルさんはお話に夢中になると、たこのようにお口が飛び出てくる。お口は右や左に動くので漫画のように面白い。私はこのサマを密かに「たこぼっち」と呼んでいるのだが、この時もまさにたこぼっちで、話よりもその動くお口に見惚れてしまうのであった。



話を妖しい二人に戻そう。思い当たることはあるのだ。この二人はごっご鍋の前までは仲がよろしくなかった。口を開くたびにオトコボスにいちゃもんをつけていたオンナイトコだったのだ。確かに最近は何も言わなくなった。言わないどころか仕事上も親密である。ダッフルさんが、誘い水のようにオトコボスの悪口を言っても「乗ってこない」らしい。


そして、ダッフルさんもまたごっご鍋(カテゴリの「生きるために仕事をするのだ」の「妖しい人たちのいる職場」を参照下さい)のことを言うのだ。石狩まで4〜5時間かけて管理者が二人ともいなくなるというのは、どんなに緩く、どんなにだらしない会社であってもおかしい。ごっこは札幌市内でも買える。それを石狩までどうして行くのだ。本当に石狩まで行ったのか?石狩という名のラブホではないか?と「たこぼっち」で熱く語るのである。



こういう話を聞いて、昨日のことである。オトコボスと二人で昼食を食べた時にいつもと違うニオイがした。甘く、奥が深いニオイ。そして、夕方、オンナイトコと打ち合わせした時に、彼女からも同じニオイがしたのだった。



DSCN2214.jpg
恋の町札幌  BY石原裕次郎


オモシロファンの皆様
オモシロさんの就職が決まったようです。介護福祉士として特別養護老人ホームで働くそうです。筆記試験のできがよろしくなかったので不安だったらしいですが、無事に正職員での入職です。おめでとうございます、オモシロさん。*オモシロさんに興味のある方は「生きるために仕事をするのだ」をお読み下さい。



押してくれてありがとうございます。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
posted by 雪あらし。 at 11:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 生きるために仕事をするのだ。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月01日

下田治美著『愛を乞うひと』

愛を乞うひと (角川文庫) [文庫] / 下田 治美 (著); 角川書店 (刊)

愛を乞うひと (角川文庫) [文庫] / 下田 治美 (著); 角川書店 (刊)


(注意)ネタバレあります。


雨の激しい夜、母は、結核に罹った父と幼い昭恵を家から追い出した。昭恵はその後、父親の病気の悪化でやむなく孤児院で生活することになる。丘の上にある孤児院には、頼りになる先生たちと面倒を見てくれる優しいお姉さんやお兄さんがいた。一日置きの入浴、ふっくらとした寝床、温かく栄養のある食事で昭恵の体は清潔で健康に保たれ、周りの大人たちは穏やかで大声や暴力とは無縁の生活だった。そんな平穏な生活は入院していた父が亡くなった時に破られた。母親が現れたのだ。「ヒキトリ」は孤児にとって甘い響きを持った言葉だった。引き取られた実母の家には新しい父と、父親の違う弟がいた。


ある日、突然に地獄の幕は開いた。



昭恵は高校卒業までの8年間、母の折檻を受け続けた。40代に入った今、股関節がうまく伸びず、膝は曲がり、軽く足を引きずっている。健康に生まれた女児は成長の過程で、実母に身体が壊れるほどの暴力を受けたのだ。



北上次郎は解説で「度胆を抜かれる小説」と書いたが、それは誇張ではない。衝撃でしばらく動けないのだ。
*ちなみに北上次郎は椎名誠の小説にもよく登場する目黒考二のことで「本の雑誌」の編集者でもあった人物である。



虐待の描写があまりにもリアリティがあり、読み手はいつしか母と二人だけの世界に入り込む。鬼畜のような母親と抵抗すらできない幼い自分。振り下ろされる拳が頬の骨にあたり痛さを感じる自分。髪を掴まれ何メートルも歩道を引きずられる自分。みぞおちを蹴りあげられたため、息もできずにうずくまる自分。薪で脛を殴られ、薪から出ていた釘が肉を削ぎ、骨まで見える恐怖と痛みを感じる自分。絶叫する自分。「止めて」「ごめんなさい」と懇願する自分。それでも母親を信じようとする自分。


開放的な気分の休みの日に電車で読んでいようが、寛いだ暖かい部屋で読んでいようが、心は小説の場面にトリップして、じきに音は何も聞こえなくなり、バクバクという自分の心音が聞こえてくる。いつの間にか幼い自分になってしまう。辛さ、寂しさ、苦しさ、痛さを感じる。そして、本を閉じ大人の今いる自分に帰った時、爆発的な怒りを感じる。


そう、子どもは必ず大人になる。力を持ち、自分で考え、平凡ながらも自分の生活を守っていく。昭恵とて例外ではない。この小説のすごさはこの先にある。


40代に入った時に、昭恵の父親違いの弟が警察に収監されたことがきっかけで、昭恵は自分のルーツを探すために父親の故郷台湾を旅する。少しづつ明らかにされる父親の姿、そして母親の生き方。


「母はどうしてこんなにも自分を憎んだのだろう」
その答えは出るのか。


ところが、答えが出ない。
殴られる意味がどこにもないのだ。憎まれる理由がどこにも見当たらないのだ。


そして、それこそがこの小説の底に流れるテーマのように思うのである。
しばし、放心状態となった読後であった。


映画の『愛を乞うひと』の感想はまた後ほど。


一つ押せばきっとイイこと。二つ押せば悪魔除け。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村
posted by 雪あらし。 at 23:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 趣味は読書なのである。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。