2012年12月16日

今年最後の小さな旅〜山梨県〜

 12月20日に札幌へ帰る私である。

 Sと定期的に行っていた小さな旅や美味しいものを食べる夜の会もしばらくはお休みになる。いつもは、行く場所を決めてから出掛けるのだが、今日は考えもなしに立川のホームに滑り込んできた電車に乗った。

 行った先は、山梨県だ。停車駅は河口湖駅。

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 バスの周遊パスを購入し、まずは河口湖沿いをゆるゆると走る。周遊パスは一日何度でも乗り降り自由。人気があるのは、オルゴール館やハーブ館で、乗客の多くが降りていく。私たちは、バスのシートに座りただただ湖を見た。車内は暖かくて気持ち良い。湖は曇った空を反映して、暗く、そのためか汚く見えた。北海道の湖を思い出す。もう帰るのだ。

 「S、支笏湖を見たことはあるかい?」と私は聞いた。(Sといる時は、なぜか北海道弁になることが多い)もし、行ったことがないのなら、彼女を連れていこうと思ったのだ。だが、Sは勝ち誇ったように、「支笏湖も阿寒湖も摩周湖も見た」と言い、自分が行った時は、霧の摩周湖が晴れ渡ったと、まるで手柄のように自慢した。そして、阿寒湖では私へのお土産にする『まりもっこり』をどれほど苦労して選んだかも語った。

 北海道には、『まりもっこり』という道民が心から誇れないマスコットがある。そして、それをSからもらった記憶がある。しかし、すぐに壊れ、携帯にはストラップの糸だけがぶらぶらしていた。下品なだけではなく、品質も劣悪だったのだ。

 河口湖の次は西湖に行こうと言う話になった。ちょうどお昼どきで、駅の販売員に美味しいお店を紹介してもらい、駅前の「ほうとう不動」へ行く。

 店内はほぼ満員。寒い。しばらく待たされて登場したほうとう鍋は顔がすっぽり入るくらい大きい。食べるうちに汗が噴き出す。Sも私も食べると汗が出て、頬が赤らむという相撲取り体質である。二人で汗をかきつつ真剣に食べた。白菜、人参、玉ねぎ、なめこその他もろもろの野菜が入っている。肉類はなく、その代わりか油揚げが入っていた。ヘルシーだった。お腹いっぱいで幸福。

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 西湖行きのバスまで時間があったので、案内所に行きパンフレットを物色していると、山中湖に「山中湖文学の森・三島由紀夫文学館」があるという。西湖は取り止め、最近めっきり文学少女的様相を呈しているSと訪ねることにした。美術館は森の中にあり、素敵なところだ。寒いが二人で散歩を楽しむ。

 Sは寒さのためか頻尿気味である。彼女がトイレにいる間に、三島との縁を館員に聞くと、三島作品には山中湖を舞台にしたものが多いが、山中湖と三島家とは関係がないということだった。おそらく運営している山中町が、観光客を誘致できる格調高い箱物がほしくて建てたのかもしれない。建物は素敵だ。残念だが、展示品はそれほど興味を引くものはなかった。

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 楽しい時間が過ぎるのは早い。

 今年最後ということで、国立にある隠れ家的フレンチを予約してあったのだが、中央線に不具合があり、立川のイタリアンに切り替える。トレモンテ。ちょっと有名なお店である。予約なしだったが、カウンター席が2つだけ空いており、Sと今年最後の晩餐をとった。

 次回は
『朋あり遠方より来たる』となる。

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SがATMに行くと行って席を外したコーヒーショップで、ナフキンにメモ。

Thank you!
I'll be with you.


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2012年12月10日

第15回介護支援専門員試験合格。

 正確には『介護支援専門員実務研修受講試験』というらしく、研修を受けなければ資格はもらえないそうです。社会福祉士とは違い国家試験ではないのです。各都道府県で管理しているので、引っ越し予定の私にとっては、少々手続きが必要なようです。

 家族はこの試験がわかっていないので、軽めのスルーでした(WWW)。

 私もこの世界に入るまで知らなかったので、仕方ありません。


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2012年12月09日

祝・大谷翔平投手。

 大谷翔平クンが日本ハムファイターズの入団を決めました。

 私は米野球界のことはよく知らないので、もし詳しいことをご存じの方がいたら是非とも教えてほしいのですが・・・数年のアメリカ生活で思うのは、プロ経験もない未知数の東洋人ルーキーに、野球に専念できるだけの十分な経済的安定、野球環境を与えるだろうかということです。

 それとも彼が米野球界で認められるまで、ご両親が経済的援助をするのでしょうか。アメリカは日本人が思っている以上にシビアな国です。表面的にはフラットですが、人種、宗教、学歴、職業、そしてキャリアで判断され、何をどうしてきたか、何ができるのか、いくら利益をもたらすかで判断される社会です。実績のない者には一銭たりとも払わないシビアな国です。その代わり巨万の富を得る者もいます。新卒を好む日本人と比べ、米社会では即戦力となるキャリアのある人材を好みます。

 ですから、とても不思議に思っていました。大谷クンがどういうルートで渡米しようとしていたのかと。覚悟を持って渡米しても、生活や文化や言葉という大きな苦労があったかと思います。それはそれなりに勉強にはなったでしょう。しかし、野球だけに専念できる日本と異なり、かなりの困難が待ち受けていたと思います。

 困難から得るものもあります。しかし、困難が無駄な時間になることもあります。野球選手として生きていこうと思うのなら、日本の球団の生活全般に渡って面倒を見、野球に専念できるようなシステムを利用して、その後のメジャー挑戦という選択もあります。大谷クンはそのような環境で力を蓄え、来るべき渡米に向けて努力を重ねていけばいいのです。

 日本ハムファイターズはダルビッシュ有という失いたくない名投手を清く渡米させた球団です。栗山監督でなくとも、そのスタンスでお話しすれば大谷クンは必ずやファイターズに入団すると思っていました。

 大谷投手がアメリカにこだわりその意志を公言していたのは、相当な覚悟があってのことだと思います。その思いを曲げ、ファイターズに入団するのですから、球団は全面的にバックアップし、ファンはメジャー挑戦のその日まで応援していかねばならないでしょう。

 大谷くん、札幌はいいところです。次のステップまで力を蓄え、素敵な時を過ごして下さい。



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ローマ法王のツイッター。

 ローマ法王ベネディクト16世がツイッターを始めたらしい。TVでは、iPadに人差し指を滑らせている法王の姿が映った。フォロワー数がすでに50万人を超えたという。

 電車内でSとこの話をした。
 「どんなツイートをするんだろう?」
 「スピリチュアルな質問に答えると言っていたよ」

 今後、つぶやきは日本語変換される日が来るかもしれない。現代の適切な短い言葉を使ってだ。

 「ミサ なう」とか

 「ワロタwww」とか

 「ハアハア(´Д`;)」とか

は使わないだろう。当然だ。

 でも、想像すると可笑しくなる。

 Sと二人、電車で声を殺して、
 「ワロタwww」



 ごめんなさい。法王様。


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クリスマス・シーズンのディズニーシーに行く。

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Sが私がバンビ好きなのを知っていてくれた。

パスポート料金は6200円だ。それでも一日、数万、数十万人の人が来園するらしい。それだけの価値があるのだろう。

 一日が終わり、友人Sに言わせると、主要なアトラクションはほぼ乗ったそうだ。水上パレードも一回半見た。大満足。

 Sはアトラクション(身体受け止め快感)派で、私はイベント(環境雰囲気快感)派のようだ。アトラクション好きのSだが、「タワー・オブ・テラー」では、あまりの恐怖のためか激しく咳き込みだし、嘔吐寸前となっていた。最前列に座っているため、後方に彼女のゲロリンが飛び散り、関係者各位にご迷惑をかけてはと心配したが、なんとか治まった。

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内臓がぐるぐるとなった、タワー・オブ・テラー。

≪神4の絶対的エース≫
 ディズニーの神4といえば、ミッキーマウス、ミニーマウス、ドナルドダック、そしてディジーダックだ。『絶対的エース』は、ミッキーマウスである。夕暮れて水上パレードに出てきたミッキーマウスには、後光が差していた。ありがたくて拝みたくなる。涙ぐむ自分がいまいましい。最近は少しのことで涙が出る。年のせいだ。隣のSはマップを拡げひたすら次に乗るアトラクションを考えている。こいつにはロマンがない。なさけなか。なさけなかばい。

 澄んだ冬空に響くような高い声で、ミッキーがミニーに語りかける。
 「ねぇミニー、クリスマスの願いごとはもう済んだ?」
 「君の願い事が叶うといいね」
 「僕はずっと君のそばにいるよ、ミニー」

 ミッキーマウスは地位も名誉もお金もある。それだけはない。紳士的だ。なんとはなしに上品ではないか。声を荒げるのを聞いたことも見たこともない。いつでもミニーのことを考えている。そればかりではない。世界平和のことも考えているらしい。

 「ミッキーマウスみたいな男はいない」

 いや、かつて、いた。
 マイケル・ジャクソンだ。彼も、世界のアイコンだ。そして、地位も名誉もお金もあり、紳士的で優しく、上品だった。ミッキー同様に、いやそれ以上に歌もダンスもうまく、クルクルと回った。そして、滑るように歩いた。世界平和のことを考え、病んでいる人や貧困で苦しむ団体に多額の寄付を行った。

 列挙すると似たような二人である。しかし、ミッキーは愛され、マイケルは奇妙に思われていた。マイケルは、「いつまでも少年のような気持ちなんてあるわけない。児童性愛者なだけだ」「声が高いのはホルモン注射のせい」「一人ぼっち」「優しいのではなく、人嫌いなだけ」「整形依存症」と言われた。

 そして、決定的な違いがあった。マイケルは老いること、醜いことに怯え、死や病気を始めとする悲しいこと不安なことに怯えていたことだ。そして、それが原因で命を失った。亡くなった時、50歳だった。

 マイケルがはにかみ嬉しそうにミッキーと写っている写真がある。彼が18歳の時だ。

 今、きらきらと水上で歌い踊るミッキーは、私が子どもの頃に見たミッキーと変わらない。私がおばあさんになって、シーもランドも歩くのが難しくなり、我身を呪いつつ死の恐怖と闘っていても、彼はピンと張った肌で青春を謳歌し、そしてミニーを愛していると叫び歌い踊っているだろう。50年後も100年後もそうだろう。

 それでいいのだ。いつの時代の人間にも、あらゆる国の人々にも愛を与える、絶対的エース。ミッキーマウスに引退はない。お尻も出さない。揺るぎない存在。その安定感は素晴らしいことだ。

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 でも、少し想像してみる・・・ 

 もし、ミッキーマウスがおじさんだったら。

 「僕はずっと君のそばにいるよ」と言われたおばさんになったミニーマウスは、「微妙。それって、ミッキーの介護をやんなきゃいけないっていうこと? ふぅ〜。だったら特にそばにいてもらわなくてもいいんですけど」と言うかもしれない。しかし、ミッキーが普通のおじさんと違うところは介護資金は潤沢にあるということだ。そして、ミッキーにはご両親はいないようなので、親の介護は心配なさそうだ。

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ミッキーの顔になっている花火。

≪ディジーダック≫
 神4の一人ディジーが例によって取り巻き連中に囲まれていた。
写真を撮ろうと近寄ると、ディジーは唐突に、この親子のために写真を撮ってくれと言う。命令通りにシャッターを切ったつもりが、電源のスイッチを切ってしまった。申し訳ありません。

 ディジーは私に向かって、「あなたが悪いのよ。アタシが写真を撮ってあげてって言ったのに。間違えて電源を押したわね。押したのね。もう一度、撮り直してちょうだい!今度は間違えないでね」と言うのである。生意気でかわいい。ディジーらしい表現。わかっているが大人げない私は、「あひるの分際」でと思い、一人憤慨していた。バンビ好きの私だったが、ディジーもお気に入りになった。

 その様子をみていたSが、「ディジーの彼のドナルドはミッキーに次いでナンバー2の男。ディズニーのナンバー2と言ったらそりゃすごい力を持っている。ディジーが生意気なのもしょうがない」と説得力ある発言。Sはディジーにも興味がなさそうで、このスターを前に次に乗るアトラクション調べに真剣であった。このような友人がいるからスムーズに周れるのだ。うれしかばい。

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 平日なのに、朝から混雑していた。金曜だからか、夜になればまた混み合った。でも、そんなことはどうでもいいと思えるから不思議だ。マイケル・ジャクソンが閉園後の東京ディズニーランドを貸し切りにしたことはあまりにも有名だ。聞いた時は羨ましかった。いや、今でも羨ましい。貸し切りにしたら、「センター・オブ・ジ・アース」を待ち時間なしで何度でも乗れる。Sのお気に入りの「タートル・トーク」にも行ける。神4を従わせ、シーを歩く。夢だ。

 しかし、寂しいことだ。アトラクションで見知らぬ人と同じ時間を共有し、気のおけない友人と異空間で楽しい時間を過ごす。やっぱり適当に混んで、いろんな楽しいトラブルがあってのほうがいいのだ。

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木にもクリスマス・デコレーション。

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ランドとは別の魅力のあるシー。


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2012年12月06日

華原朋美の復活。

 皆が知っている。小室哲也は華原朋美を恋人に選んだ。華原は小室の力でスターになった。

 華原は容姿も可愛く、声も魅力的だった。しかし、可愛いくらいで売れないのが芸能界だ。華原はそれまで何年もタレント活動をしてきたが泣かず飛ばずだったのだから。華原が小室の力で売れたのは間違いないだろう。

 華原は得意だった。プラダの服を着て、権力者で時の人でビジネスパートナーで恋人の小室と連れ立って人前に出た。小室に群がる人間は、華原を大切に扱った。

 小室哲也という当時の音楽界の巨人との破局は、華原から何もかも奪っていったに違いない。「金の切れ目は縁の切れ目」と世間では言うが、華原の場合は、「縁の切れ目は仕事の切れ目」になった。

 地獄の始まり。

 精神安定剤は、不安定な心を、「安定した方向へ導く」作用を化学的に行う。しかし、不安定にした原因が変わらないのなら、何も解決はしない。そのうちに体には薬の耐性ができて、量が増えていく。医者巡りをすれば、簡単に多量の薬が手に入る。どんどん深みにはまっていく。華原を閉鎖病棟に入院させたのは家族だ。状態は相当に悪かったのだろう。時には拘束されながら、薬からの離脱療法を行ったと言っている。

 小室は華原と別れてまもなく、ASAMIという歌手と結婚し数カ月で離婚する。その後に、KEIKOと結婚した。

 私は小室哲也が悪人だとは思わない。詐欺までの経緯を読んだりすると人間的に小物だと思うが。大きな樹に暑い日も風の強い日も守られて、自分の足で歩いてこなかった華原が愚かだったのだ。小室は気まぐれにでも、華原をスターにした。これ以上のプレゼントはないだろう。そして、このプレゼントは今でも有効だった。

 昨晩5年半ぶりに公の舞台に立った華原朋美の歌声は、原曲のキーそのままに安定した歌唱だった。全盛期のニワトリの首を絞めたような声ではない。相当なトレーニングを積んできた声だ。

 顔を上げ、高らかに歌う。「I’m proud」・・・誇りを持つ。

 かつての男、小室哲也は未だ執行猶予中の身である。妻は重篤な病気で療養中だ。人間は相手の背中を押し、地獄に落としたら自分にも地獄が待っている。刈り取らなければならないものが出てくる。

 気をつけよう。


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posted by 雪あらし。 at 14:53| Comment(1) | 人物:ななめ切り。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小学生と私。

 寒い。今日は朝から鍋にしようと決めていた。胡椒とごま油を効かせた鍋である。白菜1個(なんと105円で売っていた)、豚バラ肉、白ワイン(チリ産。チープだがうまい)、トイレットペーパー(ダブル12個)を手に、駅からバスに乗ろうとしたら、まだ午後4時というのに長い列である。待っているのは高齢者とパート帰りの主婦らしき人が多い。

 バスに乗り込むとほぼ満席だったが、後部の二人掛けの真ん中に制服姿の私立小学生が一人で座っていた。彼に詰めてもらう。引っ越し準備で本を運び腰痛を起こしてしまった腰には助かる。ありがとう、小学生。

 紺の暖かそうなウールのコートを着て、黒の大きなランドセルを背負った彼は、席を詰めさせた私に不満そうだ。最初は聞き間違えかと思ったが、「チッ、チッ」と舌打ちしている。それどころか、射るような瞳で私をじっと見る。白目を剥いているではないか。

 確かにランドセルは大きく重そうだ。できれば、椅子の真ん中で体を斜めにしていたいだろう。しかし、バスは公共の移動手段である。

 ついに、私は言った。

 「ここの席は二人で座るところです」

 「チッ」

 「だから、君がつめるのは当然なのです」

 「チッ」

 「不満なら、お母さんによく聞きなさい」

 「チッ」

 「以上」


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posted by 雪あらし。 at 08:56| Comment(2) | 日々の出来事。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月05日

重松清著『かあちゃん』

 かあちゃん (講談社文庫) [文庫] / 重松 清 (著); 講談社 (刊)


かあちゃん (講談社文庫) [文庫] / 重松 清 (著); 講談社 (刊)




 「かあちゃん」はある不幸な事故から、それまでのように甘く優しいかあちゃんでなくなり、いつしか息子のヒロシから遠い存在になってしまう。そこにはかあちゃんなりの贖罪という意味があるのだが、それをヒロシが知るのは大人になってからだ。

 人生には何があるかわからない。自分や家族がとんでもないトラブルを起こすこともある。かあちゃんの取った生き方はあまりにも真摯だ。それはせつなく、悲しい。

 電車で読むことが多く、涙が溢れて困った。『とんび』もそうだが、重松清は親と子との心の交わりを描くのが殊更うまい。

 ジェットコースタードラマのような劇画的小説が流行りの今、ゆっくりとしっかりと読みたい本だ。


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posted by 雪あらし。 at 17:57| Comment(2) | 趣味は読書なのである。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月01日

辻村深月著『ツナグ』

ツナグ (新潮文庫) [文庫] / 辻村 深月 (著); 新潮社 (刊)   



ツナグ (新潮文庫) [文庫] / 辻村 深月 (著); 新潮社 (刊)
  

                         

 映画になった小説です。

 『黄泉がえり』(梶尾真治著)を始めとして、死者が蘇るというテーマの小説は海外も含めて沢山あります。

 この小説が他の死者の蘇りの物語と異なる点は、使者(ツナグ)という生者と死者のパイプになる者を存在させたことです。よく知られている『イタコ』とは異なる客観的な存在です。

 死後の世界について我々は知りようもない。しかし、誰もが死ぬという唯一絶対的事実(真理)の前で、様々な混乱がつきまといます。自分が死ぬという恐怖、愛する人がいなくなるかもしれないという怯え、死んでしまった愛しい者にもう会えないという悲しみ、苦悩。

 哲学の最大の、人間は「どこに行くのか」というテーゼは、解決できない岩のように我々の眼前にあります。

 ですから、小説であっても、「死」がテーマになってしまうと、読み手は何らかの解(救い)をそこに見出したいと思うのです。たかが数百円の娯楽小説にもです。

 「死」をテーマにしたこの小説は、登場人物に「生」と「死」の見解を言わせるのですが、何も響いてきませんでした。特に後半から作者の揺らぎを強く感じます。これは非常に感覚的なことなので、皆さんには読後、感想をいただきたいと思います。

 「死後」は誰も知りえません。だからこそ、荒唐無稽であっても、根性を入れての「はったり」を、読者を心から安心さえ、泣かせ、うなずかせる解を見せてほしかったです。


 カタカナで『ツナグ』とした意味はなんでしょうか。


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posted by 雪あらし。 at 18:39| Comment(0) | 趣味は読書なのである。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

晩秋の散歩〜築地・浅草・スカイツリーの巻〜

 秋も深まる11月末日、友人Sと築地→浅草→東京スカイツリーと散歩をすることにしました。

≪築地市場でお寿司を食べる≫
 午前10時を回ったくらいなのに、人気寿司店は長蛇の列です。私たちはこの後スカイツリーに行く予定なので時間的余裕はありません。それほど変わりはないだろうと「並んでいないフツーの店」のカウンターに座り、本日の特別寿司(2500円)というのをいただきました。カウンターには外国の方二人連れもいらっしゃいました。ん〜。感想は・・・・並んでいない店はそれなりなの?という印象。まずいというわけではないが、美味しいというほどでもない。

 お寿司も人気がありますが、ラーメンも日本蕎麦もまぐろ丼もあれもこれも美味しそうで沢山の人が集まって食べています。築地に働いている人も、観光客も、外国人も、日本人も関係なく同じ席に座り懸命に食べています。築地は東京の台所なのだなあと改めて思います。Sはお寿司を食べたというのに、とんかつに魅せられているようで、とんかつ屋のおやじさんが盛り付けるキャベツをじっと見ています。

 築地には有名な中華そば屋(外で食べる)があり、そこで「ぐっさん」と「江角マキコさん」がTV撮影をしていました。テレビ画面でみるぐっさんは顔の大きな人という印象がありましたが、実物の顔は男性にしては小さく肌がきれいでした。

 そういうおもしろ状況を満喫し、元気よく浅草へ

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≪浅草からスカイツリーへ≫
 浅草の駅に降り立ち、浅草寺方面に歩きだそうとすると、Sが「うっ」といううめき声を出しました。「ふん?」と振り向くと、Sは「3Dみたいっ」、「トリックアートだっ」と呟きながら一人感動しています。

 灰色の冬空にスカイツリーが立っていました。

 スカイツリーを見るという心の準備がまだできていなかったので、スカイツリーに寝込みを襲われた感じでした。低く古い日本家屋が密集している浅草にヌッと立っているその姿は異質なオーラを放っています。


≪いよいよスカイツリーへ≫
 言問橋を渡り、ますます、近くなるスカイツリーを前に、Sは自慢のキャノンで夢中にシャッターを押しています。東京タワーと違い、スカイツリーは色なしのコンクリート色に見えます。夜の東京タワーの鈍いオレンジに、切なさにも近い哀愁を感じますが、眼前のスカイツリーには妙な威圧感をおぼえます。

 この日のスカイツリーの待ち時間は30分とのこと。いらいらすることなく、始めは地上350mの展望デッキへ。

 私は高いところが苦手です。高いところに来ると、胸の下の奥から「きゅうん」とわけのわからない感覚がせり上がってきます。もっとひどい時には、肛門付近が粟立つ感覚をおぼえます。もっともっとひどくなると、過敏性大腸炎のようなものになり下痢をします。
 
 では、スカイツリーに上がらなきゃいいじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、

 「怖いけれど、話題の場所には来たい。そこが高い場所であっても、自慢のためという愚かな見栄のために一度は来たい。そのためには下痢してもよろしい」という思いがあるのです。

 結局・・・下痢をしました。

 トイレから出てきた時、Sが「大丈夫?」と心配そうにしていました。しかし、それは心配そうにしているだけで、心配していないというのはこの後露呈します。

 450mの展望回廊から降りる時に何やら説明書を読んでいたSは、「よしっ、5階に行こう!」と言うのです。450mまで登ったのです、5階くらいなんでもないと思うではありませんか、

 しかし・・・

 そこは、ガラスの床がある場所でした。いうなれば、『ガラスの間』です。

 Sはガラスの床を踏み絵のように踏めと言うのです。

 すごく嬉しそうに、

 「ここまできて、ガラスの床に上がらないのは、折角の機会を失うことと同じだよ。さぁ、カメラに撮ってあげる。怖いなら、ほら、一緒に行こう」と迫り、肛門の粟立ちを強く感じている私を引きずるようにガラスの床に立たせたのです。

 帰りのエレベーターで、Sに「朝と顔が違うよ」と言われ、恐る恐る鏡で自分の顔を覗くと、アレルギーショックを起こしたように瞼が腫れ、唇が白くなっていました。

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≪追記≫
写真をアップしようと思いましたが、
帰りの居酒屋でマッコリを飲みすぎ、そこにカメラを忘れたようです。

≪再び≫
居酒屋にあったデジカメを取りに行き、アップしました。


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posted by 雪あらし。 at 16:29| Comment(4) | 友人Sと小さな旅をする。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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